ちょっと文学的に。
2005年2月19日<論語 子罕第九編>
唐棣(とうてい)の華、偏として其れ反せり。
豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや、室是れ遠ければなり。
子の曰く、未だこれを思わざるなり。
夫(そ)れ何の遠きこと有らん。
<現代語訳>
『唐棣(にわざくら)の華、ひらひらかえる。君を愛しいと思うけれど、家が遠すぎるんだ』
この詩を読んだ先生(孔子)は仰った「思いつめていないのだよ。思いつめているのなら、何の遠い事があるものか」と。
私、これが意外と好きです。
論語を全部読んだわけではないけれど、孔子が恋愛について語っているのはそう多くはないですからね。ちょっとお気に入り。
昨日のバイトの時間に職員の方(女性)と後輩が「愛」とか「恋」について語っていて、そのときにふっと思い出したのがこの部分だったのです。
うーん、私も3年目にしてだいぶ中国哲学文学科っぽくなってきたのかな??
でも、唐棣の華ってどんな華なんでしょうね?
唐棣(とうてい)の華、偏として其れ反せり。
豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや、室是れ遠ければなり。
子の曰く、未だこれを思わざるなり。
夫(そ)れ何の遠きこと有らん。
<現代語訳>
『唐棣(にわざくら)の華、ひらひらかえる。君を愛しいと思うけれど、家が遠すぎるんだ』
この詩を読んだ先生(孔子)は仰った「思いつめていないのだよ。思いつめているのなら、何の遠い事があるものか」と。
私、これが意外と好きです。
論語を全部読んだわけではないけれど、孔子が恋愛について語っているのはそう多くはないですからね。ちょっとお気に入り。
昨日のバイトの時間に職員の方(女性)と後輩が「愛」とか「恋」について語っていて、そのときにふっと思い出したのがこの部分だったのです。
うーん、私も3年目にしてだいぶ中国哲学文学科っぽくなってきたのかな??
でも、唐棣の華ってどんな華なんでしょうね?
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